思いつき短編小説

海の音

めりねこ

青空

太陽は丁度僕の真上にあった。それは意地悪な熱を発し、いつまでも舟ごと僕を照りつける。たまに通る風だけが、僕の癒しだった。

気づけば僕の手は凍傷にかかってた。だから舟をこぐ手を休めた。じわじわと照りつける太陽は僕の手の状況を悪化させる。
気づけば通る風は癒しと言うより僕が一人と言う事を気づかせていた。何故だろう凍傷のせいじゃない。この下の太陽が僕に寒さを感じさせていたんだろうか。

僕は再び舟を漕ぐ。どこへいけば陸へつくかなんてわからなかった。ただ一定の方向へ舟を漕ぐ。一定の方向? もう方向感覚すらないのに……。
水の色がさっきよりも濃くなっていった。僕は突然ばからしくなってオールを放りだし、太陽に向かって毒づいた。

何故だ! 僕は何処へ向かってるんだ! 僕は答えを持たない太陽になんども問いかけた。
どうして僕だけ! そうだ! どうして僕一人なんだ。気づけば一人に孤独を感じていた。
どうしようもなく寂しくなる。僕にはもう舟を進める手立てはない。僕は次へ進む事ができない……次ってなんだ……明日ってどっちだ……。僕は太陽にぶつけていた毒を自分に問いかけてた。

その時、舟が動いた。いや、海が動いているのだ。思わず顔をあげ、辺りを見渡す。波は立っていない。なのになぜ海が動いているんだろう。そう思うと、また舟が動いた。舟の縁を掴み、落とされないようにしながら海を覗く。舟の真下だ。何かが泳いでる?

なんだろう。不安定に動く舟に怯えながら水の中を直視する。
うわっ。な、なんだこいつは……。なんども揺れる動く舟は今にも壊れてしまいそうだ。水の中で動く物は中々見えない。見えづらい。ただ大きく泳いでる姿が影だけでとらえれる。
急にその影は水上向かって大きく浮上してきた。それは大きく虹色に光る麒麟だった。

僕はその顔を見上げていた。麒麟の顔が太陽の光をを遮断し、影が僕を包む。
首がまるでゴムのように曲がり、一回ひねりをいれてから僕の目の前に顔を持ってきた。
「迷子かい」
それは静かに言った。

僕は唾を飲んだ。いや。怯え、小さく小刻みに震えていた。
はい……。僕は小さく頷いた。もう何が起こったのか何が起きているのか。
麒麟は大きな瞳を開きニッコリと笑った。
「そうかい、そうかい」
怖かった。これからどうなるのか。一人でどうすれば良いのか。でも、だけど、けれど、僕はこの麒麟を怖くも見た、その半面優しくも思えた。

麒麟は顔を上げて、どこまでも続く海を見た。そして、独り言のようにぽつりといった。
「海蜘蛛はまだ許してはいなかったんだ。海月達もみな逃げてしまった」
何の事かわからなかった。思い切って尋ねる。あの…なんのことでしょう?

「ん? 知りたいのかい? 君も犠牲になるかも……いや。失うかもしれないよ?」
意味深な麒麟の発言は僕の好奇心をかきたてた。そう震える拳を両手に提げて。もう失う物なんてないんだよ。僕はこれ以上の失う物ないと思ってた。
「あぁ……そうかい。それじゃあ、教えてやろうか。この海に起きた事を、海蜘蛛の話を」

海は生き物の宝庫だった。何万何千という種類の生き物が共存した世界。決まった戒律を作ることもなく、自由できままに暮らす事ができた、理想郷。
それを許さないものがいた。それが「海蜘蛛」といわれる生き物だった。海蜘蛛は陸から来た生き物だった。海の生き物を殺し、食う。生け捕りにして、鑑賞して楽しむ。海蜘蛛達は海を荒らし、壊し、殺していった。

その中でも海月は私の古くから知る奴だったのに。下手に抵抗したんだろう。奴等からから攻撃され海を追われてしまったんだろう。
私は海が好きだ。海に居るすべてが好きだ。生まれた場所を。育った場所を汚されたくはない。
そう麒麟は話した。そして最後に麒麟が言った。
もし奴らと会ったら話すんじゃない。目を開くんじゃない。逃げるんじゃない。わかったかい?

麒麟はそのままずぶずぶと海に沈んでいった。もう首が半分まで沈んだ時、僕は訊いた。
「陸は、陸はどっちですか?」
麒麟はそのまま沈みながら言った。
「陸は……もうないんだよ」
麒麟は海に消えた。僕はその言葉を聞いたあと、ただ呆然と海に揺られていた。陸はもうない? どうして?
突然、再び海が揺れた。今度は大きな波を立て、それはまるで海をつきやぶるように現れた。舟が流されそうになるのを必死に押さえ、なんとか安定させる。
目の前に現れたそれは、……潜水艦だった。

驚きのまま呆然とする。
潜水艦の頭部から人の声がする。やっと会えた人。やっと見つけた仲間。その人は僕に対してこう言った。

「驚いた。まさか生き残りがいただなんて」
その――全身を防水服で包み、黒透明のヘルメットをした――人は、防水フィルター越しの声でそう言った。
甲板へ次々と同じような人が現れ、僕を見ては同じような事を言った。
リーダーと思われる、一番最初に出てきた男が他の人間に指示していく。
「汚染レベルを調査しろ、必要なら代替酸素を供給、あとグラビティスーツを持って来い」
僕は何がなんだかわからなかった。やっと人に会えたという安心感は消えさり、言いようの無い不安が僕を包んでいった。

僕の不安は的中した。何人かの男に囲まれて隔離されてしまった。暗い部屋。小さな窓。
小さな窓からは海中が見える。何も居ない。何も見えない。
その時だ、あの虹色の麒麟がすごいスピードでこちら側へ。
「この海蜘蛛。まだここを荒らそうとするのか」
海蜘蛛? まさか僕等人間が海蜘蛛だったと言うのか。
彼らを滅ぼしたのは人。なのに僕等は償う前に自分達を守ろうとしてる卑怯な生き物。それに気づいたのは麒麟が潜水艦に体当たりを始めた時だった。
「もう許さない。もう許せない。これ以上は私が許さない」
麒麟は傷つきながらそう話していた。
僕は言葉を失った。彼は自分を守るためじゃなく広い世界を守ってる。自己防衛なんて比じゃない程の大きな物を守ってる。自分を傷つけてでも。自分の明日を削ってでも。彼は守ろうとしてる。
何かしてあげたい。こんな感情は始めてだった。

ドアの外では、物々しいスーツを着た人間達が走りまわっていた。麒麟が体当たりをするたびにバタバタと。
その時、あのリーダーらしき男の声が響いた。
「何をしてる! 早く撃退だ! 右翼のバルカンカノンで掃射しろ!」
あいつら、麒麟を殺そうとしてる! なんて愚かで、自分勝手な奴らだ。僕にはなんでこんなことになっているのかなんて知らない。だけれど、これがどれだけ酷い事かはわかっていた。
麒麟の体当たりの中、僕は施錠されたドアへど何度も体当たりを続けた。なんとかして奴らをとめないと!

体当たりを続けると共に僕の肩は痛み続けた。
不条理な人間の考えがこんな事をまねいて居たなんて。僕はいったい何をしていたんだ。そんな謎を胸に抱いてドアを押し開けた。肩は痛むが心はもっと痛んでいた。
僕が君にできる事は少ないかもしれないけれど。ここでお別れにしない方法はあるはずだ。
急いだ。麒麟の方へ。大事な友達の方へ。気づけば麒麟は僕の大事な友達になってた。今まで一人で居てあんなに親切にされた事なかったから。そう思ってた。

艦内はパニック状態だった。麒麟の体当たりによってあちこちが水漏れし、警報と赤いランプが光る中、ほとんどの人間は修復作業にあたっていた。僕にとってそれは好都合で、人に会うことなく操舵室にたどり着くことができた。
頑丈な合成ガラスの向こうに、血だらけになりながらも体当たり繰り返す麒麟が見えた。
操作盤の前に、リーダーらしき男が座っていた。モニターの中央には十字の照準があり、それは麒麟を捕捉していた。
「やめろ!」
僕は男に覆いかぶさるようにしがみつく。男が離せといいながら僕を突き飛ばす。それでも諦めず、なんども男にしがみついた。絶対に麒麟を助けなくては。僕にできることはこれだけだと思った。
あちこちから悲痛な叫びが聞こえる。このままじゃ水没する! 全員脱出するぞ!
その時、麒麟は最後の体当たりをした。潜水艦は安定を失い、スクリューは機能を失った。それは水の中の鉄の塊と化し、海底に激突した。
海の中で、爆発が起こった。それは広い海のなかでは、ほんの小さな爆発だった。鉄の破片が水中を舞い、何も無かったかのように静寂を取り戻した。
僕は死んだろうか。でも、麒麟を守る事ができたのなら、それでよかった。
なんだかとても疲れた。もう眠ろう……。
水中に、一人の人間が浮かぶ。その隣に大きな生き物が現れた。虹色に輝く麒麟。その麒麟に続くように、大勢の魚達が群れをなして集まってきた。麒麟と魚は、人間を抱くように包んだ。
海はいつまでも静かだった。

おわり