思いつき短編小説

世界の方程式

めりねこ

青空

明け方過ぎの町
僕はずっと思ってた。
明日って何処から来るんだろう。
今日って何時から始まるんだろう。
始まりの時間はちゃんとわかってる。でも本当を知りたい。
明日ってどっち。今日って何時。誰か教えて。

いや、そんなことより明日の朝飯の事のほうが知りたい。
バターロールだろうか、フレンチトーストだろうか。

気がつけば。何時も通りの考えが僕の頭を過ぎってた。
いや。過ぎってたと言うより考えてたに近いかもしれない。
だってお腹が空くのに理由は要らないし。
考える必要だって要らないし。

待てよ。だったらなぜ「考える」なんて思考が生まれるのだろう。
必要の無い事を認識していながら、また一方ではそれについて考える。
それは大きな矛盾じゃないだろうか。

矛盾なんて考える必要はないさ。
だって矛盾を解くのは何時も人独自の考え方で解けば良い。
君は君なりに考えて。あなたはあなたなりの答えを持ってればそれで良い。
だから僕は矛盾に対して考える必要はないと思ってる。

待てよ。「君」とはなんだ? 「あなた」とはなんだ?
それは僕の中の答えとして抽象化された、一種の想像対象なのかもしれない。
僕という中の「僕」であり、それは個々の想像の一つだと思っている。
なんだかわからなくなってきたぞ……。

でもちゃんと答えは持ってるんだ、僕等は。
考えてみれば、君だってあなただって。誰かに話せば想像上の人物になって行く。
その人と会えばきっと名を持つし。話し方も変わる。
だから「君」も「あなた」も。抽象的であっても確実な選択肢を僕らは選んで使ってる言葉なんだよ。
「僕」は考える必要はないんだ。
何時も胸に手を当ててそっとしていれば答えが見つかるから。

僕は僕なりの答えを出し、それをまた僕の中へと返してやる。
それは外から見れば自己満足でしかないけれど、僕を僕とするまでの、必要なプロセスだった。
けれど、お腹すいたなあ。

答えは見つかっても空腹は満たされない。
僕はポケットから取り出したビスケットを齧りながら空を見た。
けれどきっと僕が出す答えなんて何万人の人が聞いたらきっと違う答えが出てくるんだろうね。

人の考えは十人十色というけれど、全ての人が同じ考えを持ったと仮定すると、それはいい事なのだろうか。そうでないのだろうか。
人の考えの方向性をランク付けするとして、皆が皆「A」だとすれば、きっと世界はいい方向へ進むはずだ。しかし、もし「C」だとすれば、「A」よりかは世界は良くならない。結果的に、その差は一人一人の幸せの変動値すら変えるはずだ。

きっと僕が出す答えは皆を「A」にする事も、みんなを「C」にする事もできないだろう。
だってそれぞれの幸せを変える事ができるか、できないかを考えればその答えが出るかだ。
僕は良い世界を願うと同時にその世界の方程式を欲しがってるのかもしれない。

もう一度空を見る。青い空に幾つもの雲が浮かぶ。
大勢の人の考えは、一人の人をどうすることだってできるかもしれないけど、この雲の動きはきっと変える事ができないだろう。
それは人と理論の関係から外れた、一種の浮動点なのだ。
僕はそんな雲が、少しうらやましく思えた。

羨ましく思える自分と、少し悔しく思う自分が居た。
何故解けないんだろう。何故見つけれないんだろう。
あれは右へ行くのかな、あれは左へ流れてゆくのかな。
すべてが仮定で終わってゆく、何時かは答えを見つけれるのかな。

開け放された窓を閉める。冷たい風は僕を撫でるのをやめて、見えない巣へと戻っていった。
ソファに寝転んで、天井を見つめる。
答えを見つけることは難しく、それを辿るための道は険しい。けれど、それを見つけたときの達成感と、自分が自分以上へと進化する過程を垣間見る、そんな高揚感だって感じられる。 それが今の僕にはまだできない。いつできるかもわからないけれど。

いつかできるかも知れない。また僕は仮定染みた事を言っている。
駄目だね、僕は。こんなんだから何時までたっても辿り着けないんだね。
昔に居た人達が解いた方式は全部あたりまえのように今手元にあるけれど。
僕達が何時か昔になる日が来るんだ。だから今。
明日が何処から来るのかを、今日は何処から始まるのかを。
私が何時昔になるのかを。ちゃんと知っておきたいと思ったんだ。

おわり